朝来市の地酒づくりno.1
朝来市は、古くは「天空の城 竹田城」や、江戸幕府から明治政府までが直轄鉱山としていた「生野銀山」など、時代の栄枯盛衰と共に歩んできました。
そのなかで、山東町矢名瀬は弓矢貢献の地「矢名師の里」に由来する町で、三方を山に囲まれて寒暖差が大きく、豪雪地帯にも指定される日本海と瀬戸内海の分水嶺でもあります。
また、古来より播磨・丹波地方から山陰地方に至る接点であり、京都への旧山陰道「表街道」と篠山への「裏街道(丹波・但馬路)」の分岐点として栄えた宿場町で、此の友酒造には豊岡藩主・京極氏が参勤交代で逗留(とうりゅう)する陣屋本陣も設けられていました。
街道で出会った二酒蔵
水は日本酒の大部分を占め、他の蔵にまねできない酒蔵の特徴の一つとなります。どちらの蔵も300余年の古い歴史がある昔からの和蔵。
竹泉を醸す田治米(たじめ)合名会社(以下・田治米)は泉州・和泉國から。但馬を醸す此の友(このとも)酒造株式会社(以下・此の友)は、播州・播磨國から酒づくりに適した水を探し求めて、ここ朝来市山東町矢名瀬の地に辿り着いたそうです。
日本酒醸造最盛期には、この小さな宿場町に七つの酒蔵・酒造組合があった事から、その水の評判の高さがうかがえます。
962メートルの頂きからの恵水に
高原火山岩で天然濾過された湧水
田治米では、夜久野(やくの)高原から。此の友では、町を包むようにそびえる粟鹿山(あわがやま)から長い年月を通して届いた天然水を汲みあげて、そのまま使用しています。水質はどちらもやや軟水で「灘の男酒 伏見の女酒」と例えられるように、軟水でつくられたお酒は、口当たりが柔らかく発酵もおだやかにすすみ、優しいニュアンスを持つ酒になります。
酒米の地元栽培
兵庫県は、酒米の王様と呼ばれる山田錦の米どころであり、「感動」の追求の為にもちろん山田錦を酒米として使っていますが、田治米と此の友は「地酒」であり続けることを追及するため、酒米の独自栽培にも力を入れています。
原料米や水など、全てその土地のものでつくるという意味では、「地酒」の一つの完成形と言えるでしょう。そのために、農家さんと二人三脚で酒米栽培を進めています。